赤ずきん君のブログ

サッカー、読書、筋トレ、旅行、サウナが好きな大学生です。読書の感想をメインにブログを更新していきます。

人生は8割が運

この間一人で九州へ行ってきた。

 

行ってきた土地はこんな感じだった。

熊本:阿蘇山、黒川温泉、鍋ヶ滝

大分:別府温泉由布院

福岡:博多、天神

の観光へ行った。 

 

大まか流れとしては

大阪→(飛行機)→熊本→(レンタカー)→大分→(レンタカー)→熊本→(ヒッチハイク)→福岡→(飛行機)→大阪

4泊5日で僕の行って見たかった所を回った。

 

大自然に囲まれた阿蘇山やたっぷり味わえた僕の好きな温泉、新たに目覚めたサウナ、それぞれの地域で食べた有名な料理など、たくさんの思い出ができた。その中でも印象的なのはヒッチハイクで乗せて頂いた方との会話だ。

 

僕は有名な観光地や広大な自然などを訪れるのことが好きだ。しかし、旅を終えて何が思い出に残っているのか、振り返ると、偶然出会った人との関わりが多い。今回はヒッチハイクで出会った人との思い出について語りたい。

 

 

僕は今回の旅行では熊本の中心部から電車とバスを乗り継いで、詫摩パーキングエリアへ行き、そこでヒッチハイクを開始した。

 

熊本でのヒッチハイクは予想以上に苦戦した。それは車が少なかったからだ。1時間ほどのヒッチハイクの中で11人にしか出会っていない。トイレしかない、初めて利用したパーキングエリアで、一人車を待つのはかなり寂しかった。

 

乗せて頂いたのは宮崎の大学で就活支援をしている教職員の方だった。院進学を予定している現在大学4年生の僕には素晴らしい、ぴったりな出会いだ。

 

車の中での話題は自然と就活や仕事についてになった。自己PRについてアドバイスをくださったり、僕は全く知らないけれど有望な企業について教えてくださったり楽しい時間を過ごせた。

 

その中で興味深かったのが計画的偶発性理論についてだ。人材育成などに関わっている人ならば有名な話だそうだ。僕は全く知らなかった。

 

一度、計画的偶発性理論について調べて見ました。

計画された偶発性理論(英語: Planned Happenstance Theory)とは、スタンフォード大学ジョン・D・クランボルツ教授らが提案したキャリア論に関する考え方。個人のキャリアの8割は予想しない偶発的なことによって決定される。その偶然を計画的に設計し、自分のキャリアを良いものにしていこうという考え方。 (Wikipediaより引用

 

自分の人生の8割は偶然によってもたらされるそうだ。自分の人生なのに、自分が決定して導いたことはほんの少しであるという理論に、驚きを感じたが、確かに実際はそんな気もする。

 

例えば僕が大好きな読書。高校3年生の時に塾の国語の先生に出会わなかったたら、本を読む習慣は身につかず、本が嫌いのままだったかったかもしれない。国語の先生の授業が面白かったから、本を読んだら自分の知らない、楽しいことが知れるのかもしれないと思うことができた。そして本を読むようになり、好きなになった。

 

偶然が僕たちの予想以上に僕たちの人生の鍵を握っている。
僕はこの計画的偶発性理論を知って、もっと就活などの人生における様々な大切な決定に対して、肩の力を抜いて挑もうと思った。
 
今までの僕は就活でなんとかして自分の好きな職業に就こうと考えていた。人生100年時代と言われる現代では、人生の半分以上は働くことになる。
つまり、仕事で自分の好きなことができるとなれば最高だ。そして同様に、自分の嫌なことを仕事として行うとなれば最悪だ。
 
だから企業選びが人生の鍵を握ると考えた。しかし、自分が勤めたい企業を選ぶのは難しい。
数が多すぎるし、どのような感じで働くのかなかなかイメージができない。
さらに自分の好きなことなんてなかなかわからない。
僕が会社選びに対して真剣に向き合えていないから、ということももちろんあると思うが、それを差し置いても就活は難しいと感じていた。
 
ただ、意地になって現段階での自分のベストの会社を探し出して、絶対にその会社に入ると意気込む必要なんてないと思うになった。
それは偶然の出会いがあるからだ。

仮に自分の思うような企業に入れなくても、入社した先で、もしかしたら自分の好きな仕事が見つかるかもしれない。とても相性の良い上司と出会い、エネルギッシュな毎日を送ることになるかもしれない。
 
思い返せば、就活と同様に人生の転機となる大学受験の時もそのように考えられていたら良かったなと思った。

僕は頭が固くて、視野の狭い受験生だった。
偏差値の高い大学に合格した者だけが偉いと考えていた。
僕が受験した大学が不合格ならば、高校の友人に会うのはやめようとすら考えていた。
人のレベルを測るものさしが偏差値しか当時の僕は持ち合わせていなかった。
 
そんな考えの僕は大学受験を全く楽しめなかった。
成績の悪かった僕は勝手に自分でいじけて、友達と関わる数がすこしずつ少なくなっていった。
とても苦しかった。
僕は大学受験の失敗を繰り返さないためにも肩の力を抜いてこれからの選択を行いたい。

どのような進路を選んだとしても、その道には自分の幸せがあるはずだ。
自分の置かれた場所で前向きに取り組めば楽しいことが待っている。
 
僕が入学した大学は高校3年生当時に思い描いた大学のレベルより下だ。
しかし、そこでは様々な出会いがあり、とても楽しかったし、今も楽しい。
もちろん最低限の取り組みは必要になる。しかし、自分のやるべきことをやっているのならば、あとの結果はどのようなものでも良い気がする。
恐らく、自分が進んだその場所で素晴らしい出会いが待っているはずだ。
 

最後まで読んでいただきありがとうございました。
また更新します。