気まぐれな本音
少数の友達と居酒屋で飲んでいる時。
旅行先のホテルの部屋で飲んでいる時。
僕はこの時間が大好きです。
なぜなら友達やお酒、イベントによるテンションの高まりからか、普段あまり語らないことを仲間と言い合えるからです。
自分自身だけでなく、友達も高確率で同じ温度の話をしてくれます。
年に数回ある本音を語るタイミングで、この時の私は本当の自分を表現できていると信じていました。
しかし最近はこの語り合うことが以前ほど好きではなくなりました。
本音を語れている自信がなくなったからです。
考えを周囲にいざ発信する際、その時の気分やメンバーによって大きく変わっているように感じるのです。
普段はあまり考えてなかったことも口から出てきます。
木陰に突然現れる野良猫みたいに意見が飛び出します。
僕の芯のある固定された意見がないように思います。
そして一晩経つと、僕の思いも煙のようにどこかへ消えていきます。
昨晩あれだけ熱く語っていたのに。
友達と話をする中で少しずつこの気持ちに気付いて、
次第に私には本音なんてないんじゃないかと思うようになりました。
本音だと思っていたものは、ただ普段口にしない珍しいことを言っただけだった気がします。
僕は無難な言動が多く、尖ったことはあまりしません。
棘のあることや変なことは、仲の良い友達とテンションが高くなっている時にしか見せません。
本音がわからない。
このような状況に陥ったのは、周りに合わせることが得意だからだと思います。
僕は幼少期からビビりな性格で、怒られることが大嫌いでした。
大人に怒られないようにするために、他人が求めるものや役割を自分なりに想像して、行動してきました。
この力は結構役に立ったと思っています。
先生に怒られないようにするために勉強に励み、顧問の先生に目をつけられないようにするために部活動の走り込みなどもきっちり行いました。
結果、何ごとにおいてもある程度の結果や力をつけることができたと感じてます。
しかし、そこに自分の熱い想いというものが欠けていたのかもしれません。
判断する際に自分の考えが基準とならず、他人の考えを行動の指針にしているからでしす。
この積み重ねが、僕の本当の気持ちを分からなくさせているのだと思います。
自分の本音がなんなのか明らかにすることは難しいです。
今このように書いていても、3ヶ月後には全く異なることを言ってる可能性もあります。
本音なんか存在しないのかもしれません。
ただ、最近は自分が好きだと感じたものや感動した場面を手帳に記すようにしています。
心が動かされたものに自分を構成する大切な要素があると思うからです。
そしてこの積み重ねが本音を語ることに繋がるような気がします。
どんどん書き溜めていきます。
直近では、夜の散歩が好き、と書きました。